
この記事でわかること
- 「NHK夏の北アルプス」ルートの実際のきつさ
- テント泊装備のまま小屋泊に切り替えると何が起きるか
- 新婚旅行で北アルプス縦走に挑んだ夫婦のリアルな記録
はじめに──夢は大きく、ザックも大きく
ことの発端は、一本のNHK番組でした。
番組名は「夏の北アルプス あぁ絶景!雲上のアドベンチャー」
食い入るように画面を見つめ、気づいたときには「これ、新婚旅行でやろう」と妻に宣言していました。テント泊で、室堂から上高地まで。7泊8日、完全踏破。妻も同意してくれました。
結果をひと言で言うなら──テントは一度も張らなかった。私の爪は剥がれかけた。妻の顔は腫れた。
それでも、あの7泊8日は本当に最高の旅だったと、今も心から思っています。
出発前──20kg超えの”理想の重さ”
装備リストを作った段階で、総重量はほぼ20kgに達していました。
テント、シュラフ、マット、コッヘル、バーナー、食料……どれも「テント泊縦走」という夢を叶えるための、誇らしい荷物。
その2日後、私は別の意味で「余裕がない」状態になりました。
行程マップ
STEP 1|1日目:室堂 → 五色ヶ原山荘
初日から「小屋泊」に降格。イケメン管理人、現る。
STEP 2|2〜3日目:五色ヶ原 → スゴ乗越 → 太郎平
重装備と猛暑のダブルパンチ。薬師岳の絶景と妻の顔の異変が交錯。
STEP 3|4日目:太郎平 → 雲ノ平
人生一のきつい登り。足の親指の爪に異変が起きる。
STEP 4|5〜6日目:雲ノ平 → 双六 → 槍ヶ岳 → 上高地
体力も気力も限界。ジャンダルムを諦め、槍ヶ岳から下山を決断。
1日目:室堂 → 五色ヶ原山荘「初日にして、夢が砕ける」

9月の北アルプスは、快晴・猛暑だった。
室堂バスターミナルを出た瞬間、ジリジリと焼けつく太陽が出迎え、標高2,450mとは思えない蒸し暑さで、ザックを背負うと背中に20kgの熱が密着してきます。五色ヶ原山荘につくと二人で「先は長いから体力的にもやっぱり小屋泊にしよう」とテント泊を早くも断念。だが、これは今でも正しい判断だったと思っています。
問題はここからで、小屋泊に切り替えても、テント装備20kgは背中にあり続ける。使わないテントを抱えたまま歩くという、なんともシュールな苦行がスタートしました。
五色ヶ原山荘の衝撃

疲れ果てて辿り着いた五色ヶ原山荘。その受付カウンターの向こうに、爽やかなイケメン管理人が立っていた。高山の空気をそのまま人にしたような、清潔感と親しみやすさを兼ね備えた方で、山小屋の管理人というより北欧系アウトドアブランドの広告に出てくるような人物。妻は小声で「管理人さん、めちゃくちゃ素敵じゃない……?」と呟き、実際私も同感で、ワイルドで本当にイケメン太郎くんでした。
五色ヶ原の夕暮れは、それはそれは美しく、高原の湿原に広がる柔らかな橙色と、遠くに連なる山並み、テントを張らなかったことへの後悔を、その景色が少し紛らわせてくれました。
2〜3日目:スゴ乗越 → 薬師岳 → 太郎平「絶景と、妻の顔の異変」

針葉樹林帯の深い緑を縫うように歩く縦走路は、秘境感たっぷりで心が浮き立ち、ただその美しさは、重装備と猛暑という代償のうえに成り立っていました。体力だけでなく、じわじわと精神も削られていく感覚がありました。
それでも薬師岳の山頂に立ったとき、疲れは一瞬で消えました。
360度の大パノラマ。
雲ひとつない青空のもと、槍ヶ岳・穂高の峰々が連なり、歩いてきた稜線が遠く続いている。ここまで来られたんだ、という小さな誇らしさがじんわり胸に広がったのをおぼえています。
ただ、太郎平小屋に着いたとき、妻がそっと「なんか顔が痛い」とつぶやき、鏡を見ると、顔が赤く腫れあがっていた。数日間にわたる高山の強烈な紫外線が、じわじわと肌にダメージを与えていたようで、その日は氷で冷やし、小屋で静養することに。
登山メモ|高山の紫外線は想像以上に強力です。日焼け止めのこまめな塗り直し、帽子やサングラスの着用はぜひ徹底してください。雪渓や開けた稜線では特に注意が必要です。
4日目:太郎平 → 雲ノ平「人生一のきつさ、そして秘境へ」
雲ノ平へ向かうルートには、アラスカ庭園への急登がある。
あの登りは……うまく言葉にできないけれど、足が前に出なかった。息が上がり、背中の20kgが容赦なく肩と腰に食い込んでくる。「今まで一番きつい」と感じた登りをいくつか経験してきたけれど、あの日の急登はそのすべてを塗り替えました。
登り途中で、左足の親指の爪が剥がれそうな感触がして、靴の中で圧迫されていたのか、じんじんとした痛みと、靴下に滲む血。
それでも、登りきった先に広がった雲ノ平の景色は、すべての痛みをしばらく忘れさせてくれました。
日本最後の秘境と呼ばれるだけあって、広大な台地、遠くに見える水晶岳。まるで別世界に迷い込んだような、静かで圧倒的な美しさがありました。この風景を見るためなら爪を犠牲にしてもいい……とは言えないけれど、それでも来てよかったと思えました。
5〜6日目:双六岳 → 槍ヶ岳「限界を認めて、下山を選ぶ」

雲ノ平を後にして双六岳へ。体力も気力も、残りはわずかでした。
当初の計画ではジャンダルムを越えて奥穂高岳へ向かうはずだったが、現実を受け入れることにしました。私の爪は限界で、妻の体力も厳しく、使わないテントは今もザックの中にいる。そんな状態でジャンダルムに挑むのは無謀だと。
「ジャンダルム…諦めよう。槍ヶ岳から下山しよう。」
ふたりとも、すでに十分に歩いていた。これは撤退じゃなく、自分たちを大切にした判断だと思っています。
槍ヶ岳の穂先に立ち、360度の空を見渡した。雲の切れ間から差し込む光の中に、遠く富士山のシルエットが見えました。上高地へ下る道を歩きながら、妻とたくさん話しました。どうでもいい話、またここに来ようという話。
帰宅後──爪の治療と、次への誓い
帰宅してから、皮膚科で左足の親指を診てもらい、親指の爪は全て剥がれ爪なしの状態。妻の顔の腫れも、数日の安静で落ち着きました。
完走はできなかった。テントは一度も張らなかった。爪は剥がれて、妻の顔は腫れた。
でも、あの旅で見た景色──五色ヶ原の夕暮れ、薬師岳の大パノラマ、雲ノ平の静けさ、槍の穂先から見た空──は、どれも本物でした。
まとめ:次は「小屋泊装備」でリベンジを
あの旅が教えてくれたことを、次へ活かしたいと思い残します。
STEP 1|テント装備は置いていく
次は最初から小屋泊前提の軽量装備で挑む。背中が軽ければ、足も軽い。
STEP 2|日焼け対策を丁寧にする
フェイスマスク、高SPFの日焼け止め、アームカバー。高山の紫外線は想像以上に手強い。
STEP 3|出発前に足のケアをする
爪は適切な長さに整えておき、靴のフィッティングも念入りに確認する。
STEP 4|ジャンダルムは「専用の山行」で
ジャンダルムだけを目的とした日程で、万全の状態で向き合う。
北アルプスは、逃げない。
あの山々はいつでもそこにある。完走できなかったことを悔やむより、またあそこに戻れる日を楽しみにしたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございます。山は「無理しない勇気」を、静かに教えてくれる場所だと感じています。装備を軽くすること、撤退を決断すること──それは、山と長く付き合っていくための大切な知恵だと思います。憧れの山に、ぜひ自分のペースで挑んでみてください。きっと最高の景色を見せてくれます。
